「雪乃、雪乃はいるか…!」
それは深々と雪が積もる冬の日のことだった。
当時の祇園当主であった祇園雪景は、いつものように声を荒げ、二つ歳の離れた妹の部屋へと押し入った。
「これは、これは、御当主様。出来損ないの妹に何の御用ですか?」
雪影の妹である雪乃は、どこか呆れたような眼差しで、嫌味たっぷりに答えてやる。
彼女は妖との戦いで負った傷を治療をしているところだった。
はだけた着物を直そうともせず、苛立つ兄を「面倒だ」というような顔で見つめている。
「お前、また勝手なことをしてくれたな!都に出た妖を一人で退治したと聞いたぞ」
「私は祇園としての勤めを果たしたまでです」
「女の分際で…恥を知れ!」
「私も男であるお兄様を立てたいのは山々ですが…九尾もまともに扱えぬあなたでは、あれの相手は厳しかったでしょうね。大事な当主様がお怪我をされても困ります」
「お前は、そうやっていつもいつも…!」
雪景は妹の挑発に我慢ならず、右手を大きく振り上げた。
雪乃はそれを軽々避けることもできたが、それでは彼が逆上するだけなので、兄の怒りが収まるなら殴られてやるかと、大人しく目を瞑った。
「お辞め下さい!」
その時、振り上げた腕を掴んで雪景を止めたのは、彼の許嫁である弥栄家の令嬢、桜であった。
「いい加減にしてください。雪乃様はお怪我をされているのですよ」
「知ったことか、こいつが勝手に負った傷だろう」
「雪景様。私は怪我をした女性に手を挙げるような方のところに嫁ぐ気はありません」
「貴様…誰に向かって!!」
雪景はその手を振り解き、今度は桜の方を叩こうとした。
だが、それは叶わなかった。
「縛…!」
正当防衛と称し、桜は術で雪景を縛り上げてしまったのだ。
「ぐ…桜、お前はどうしていつも、その女の肩を持つんだ。お前は俺の許嫁だろう!!」
「いいえ!! 私は…私は…雪乃様の鍵です」
花のような可憐な見た目に反して、桜は毅然とした態度で許嫁である男を睨んだ。
反撃に出たくても出れない雪景は、怒りを募らせてこう言い放つ
「お前たちなど、天狐の炎に焼かれてしまえばいいのだ!存分に妖と戦うがいいさ!!それで命を落としてくれれば本望だ!!!」
そう声を荒げる兄を憐れむように、雪乃は静かに口を開いた。
「まったく…これだから、兄妹揃って出来損ないだと言われるんだ」
雪乃は桜の手をとって部屋を出ていく。
「行こう、桜。どこか二人きりになれる場所へ」
「はい」
外は命の気配など感じぬほど、雪が深く積もっていた。
冷たい風が吹き抜ける中、二人は静寂の向こうへと逃げ込んだ。
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