「おじいさま。あの桜の下にある石はなんですか?」
祇園家の集まりに参加していた幼い雪那が興味を示したものは、苔生した大きな石だった。
仰々しく〆縄が施されたその石には、何か文字が刻まれていたようだが、その殆どは読めなくなってしまっている。
石がそこに置かれてから、百年…いや、それ以上の月日が流れたということが見てとれた。
更にその上では、不気味なほど美しく桜の花が咲き誇っている。
「あれは慰霊碑じゃ」
「いれいひ?」
「昔、祇園の中から妖落ちした者がおってのぉ…その魂を鎮めるためのものじゃよ」
「あやかしおち…?」
「わしらが天から授かった力は強大じゃ。扱い方を間違えれば、己が妖へと転ずることとなる…気をつけるんじゃよ。いや、雪那にはまだ難しかったかの」
まだ幼かった雪那には祖父の言葉のほとんどが理解できなかったが、敷地内に咲き誇っている桜が、どこか悲しげだということだけは分かった。
「おじい様。あの桜…なんだかとても悲しそうです」
「なに…?」
祖父は驚いたように桜を見上げ、また雪那に視線を戻した。
「むう…雪那、あれにはあまり近付くでないぞ」
「分かりました」
聞き分けの良いフリをしたが、雪那にはどうもその桜が、何かを語りかけてきている気がしてならなかった。
まるで「私たちのようにはなるな」と警告をするような…そんな気を感じる。
雪那は祖父が席を外した隙に、咲き誇る桜とその下の石碑へと近づいた。
「お前は…私たちのようにはなるな」
「え…だれ…?」
凛とした女性の声が響いたような気がして、雪那は顔を上げた。
あたりを見回してみても、人影はなく、ただ一陣の風が、桜の花びらを大きく舞い上げて、何処かへとさらっていってしまった。
これは、雪解けと舞い散る桜の物語。
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