「雪乃様、これは…」
桜はすぐに屋敷の異変に気づいた。
二人ははだけた着物を直して、すぐに表へ出る。
「この妖気は…一体…」
その時、上空から二人目がけて、火球が勢いよく飛んできた。
「桜、危ない…!!」
雪乃は桜ごと、その火球をギリギリのところで避けた。
彼女は火球が飛んできた方向へと視線を向ける。
「なるほど、この異様な妖気の正体はあなたでしたか、兄上…!!」
上空では、人の姿を失いつつある兄・雪景が、恨めしそうに二人を睨んでいた。
「許さん…許さんぞ、お前ら…俺を散々馬鹿にしやがって…!!」
屋敷では悲鳴と怒号が鳴り響き、黒い煙があちこちから上がっている。それを見た、雪乃はとにかく桜をこの場から遠ざけようと必死だった。
「桜、お前は屋敷の者達の避難を…」
「イヤです。私も一緒に戦います!」
「桜、お前に怪我を負わせたくない!」
「私だって同じ気持ちです。どうして、分かってくださらないのですか…!」
「うっ…」
雪乃が動揺していると、そこに容赦なく火球の雨が降り注ぐ。
「ははっ、喧嘩をしている場合ではないのではないか…?」
二人はそれぞれ火球を避ける。
「まったく、これだから狐は嫌いなんだ」
雪乃は火球を避ける最中、そうこぼす。
神の眷属であるはずの狐たちだが、彼らの中には、信仰を集め過ぎた末、自分のことを神だと勘違いする者もいるという。
その傲慢さから、神のフリをして人々の願いを叶え、自分から離れようとする者を強く呪うのだ。
「ふははははっ、この力があれば、お前たちなど軽く捻り潰してくれる!!」
「くっ、なんて力だ…このままでは…」
雪乃は今までに感じたことのない強い妖気を前に、今の状態では埒が開かないことを察していた。
だが、天狐の力を完全に解放すれば、最悪、自滅の可能性すらあり得る。
雪乃はこの一瞬で、あらゆることを天秤にかけた。
祇園としての役目、兄が妖へと落ちたことの責任、桜と過ごすはずだった未来。
その全てを考えた結果、導き出した答えがこれだった。
「桜!!!天狐の力を解放しろ!!!!」
「でも、そんな…!!」
桜は一瞬ためらった。
だが、彼女も同時に、あらゆることを考えた。
屋敷で上がる悲鳴が、焼き尽くされていく日常が、彼女の心を押し潰しそうになったが、何よりもその一瞬で、雪乃の覚悟を感じ取ったのだ。
桜は全ての言葉と想いを飲み込んで、祝詞を唱える。
「高天原に神留まります天照大御神を以て、神獣・天狐に告げ給う…」
「させぬぞ、さくらああああああ!!!!」
祝詞を唱える桜目がけて、雪景は一直線に突進した。
だが、その行手を 雪乃が阻む。
「お前の相手は私だ!!!!」
雪乃は全身全霊で雪景の前に立ちはだかったが、生身の状態では簡単に弾かれてしまった。
「我、番の鍵なり、天狐、解!!!」
桜がそう唱え終わると同時に、雪景の手が、彼女の腹を残酷にも貫く。
「かはっ…」
「桜っ!!!!」
「ふっ…脆いな、桜」
雪景は満足そうな笑みを浮かべ、桜から離れようとするが、彼女はそれを許さなかった。
「うぅ…に、逃がしません…」
「な、なに…!」
「ば、縛…」
桜は雪景のその場に拘束し、全てを雪乃へと託した。
「桜、そのまま!!封殺炎!!!!」
「ぐ、ぐあああああああああっ!!!!」
天狐の力を全て解放した雪乃は、雪景にありったけの力をぶつけた。
「馬鹿な…このままでは、お前たちも焼け死ぬぞ…!!」
「あなたを…逃すよりは…いい…!」
「ああ…共に逝こう…桜」
雪乃は自身の体が天狐の火で焼かれることを厭わず、全力で力を使った。
「灰すら残さんぞ、兄上…!!」
「くそ…くそ…くそおおおおおおおおっ!!!!」
雪乃の力を後押しするように、桜は風の術を使って、その炎を煽った。
怒りも、恨みも、未来も、全ては炎に包まれていった。
その後、その場には少量の灰だけが残り、辺りに降りつもっていた雪は、すっかり溶けていた。
全焼した祇園家の屋敷は立て直しを余儀なくされたが、やがて、冬が終わった頃になると、三人が焼け死んだ場所に、小さな芽が出たという。
それが桜の木だと分かったのは、少し後の話だ。
祇園と弥栄の一族は、三人のためにそこに石碑を建て、この事件を教訓として語り継いだ。
狐を扱うものは決して、傲慢になってはならぬ。自分のために力を使えば、それは必ず跳ね返ってくる。己を律し、世のため人のために力を使うことが大事だ、と。
事件以来、狐を宿し者が桜の木へと近づくと「お前は私のようにはなるな」という悲しそうな声が、どこからともなく聞こえるという話もあった。
雪が溶けた後に花開く桜は、大層美しく咲き誇り、そして、毎年散っていく。
これは、雪解けと舞い散る桜の物語。
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